タイトル | : Re^6: とはいえ、結局のところ |
投稿日 | : 2008/05/23(Fri) 14:53 |
投稿者 | : 赤木智弘 |
> あの、この紹介と言うのは上記のハローワーク等ではいけないのですか?
ハローワークや折り込み広告の仕事は「紹介」ではなく、ただ「右から左に回す」だけです。
私がいう「仲介者」とは、紹介した手前、企業側にも「それなりに働ける人を紹介する」という責任を負い、労働者側にも「それなりにちゃんとした雇い方をしてくれる」という責任を負うことのできる人の事をです。
ハローワークや折り込み広告の仕事は、広告主の言い分のみを聞いて、それをばらまくだけです。広告と実際の内容が食い違っていないかはもちろん、書面上の待遇が違法ではないかという事すらチェックしません。あとで文句を言っても「企業側と話し合ってください」と言われておしまいです。
いうなれば、そうしたところで仕事を見つけるのは、雑誌に載っている「都(1)」のサラ金業者に金を借りるのと同じことです。
> それに確かに自分には紹介する事も出来ないので、赤木さんの仰る通りなのですが、それでもなんでもいい、だとかこうしたことがやりたい、出来ます、という意思もなければなかなか紹介は出来ないのじゃないでしょうか。
> というより、希望を聞いているわけではなく、何がしたいのかもわからないのです、言っているだけなのですが。
> 企業の面接でもそうした返し方をされるのでしょうか。
話が逆です。個人の希望通りに仕事があるわけじゃありませんから、ある仕事に対して、希望を持てばいいのです。紹介がなければ、どのような仕事があるのかが不明ですから、希望を持ちようがありません。
会社の面接に行くときには、その仕事があるのですから、それに対して面接すればいいだけの話です。
> 正社員と言う立場で働きたいだけなら、贅沢を言わなければ探せると思います。ただ最低賃金が、という問題は残りますが、それでもまずは正社員と言う基盤は出来ます。
> 地に足が立っていない状態で、アレもコレもよりはよほどマシだと思います。
生活できない正社員では、基盤なんかありません。フリーターと同じです。
ましてや、これまでの時間を無駄にさせられているのですから、これ以上時間をトライアンドエラーに費やすことはするべきではありません。
そもそも、社会がフリーターとして働いてきた期間を、正社員のそれと同等に認めればいいだけの話です。仕事の中身なんか大して替わりはしないのですから。
> > > どこかのお答えの中で赤木さんの就職活動において企業側の求め方に対し、貴方自身で答えを出し、その上で今の状況になったのだと思いましたが違うのでしょうか?
人のことを「逃げている」などというイメージでしか見ていないから、そういう勘違いをするのです。ちゃんと文字を読んでください。
> > > 確かに労働は一つの責任なのかもしれませんが、報酬はその労働に対しての対価(評価)として与えられるものだと思います。
> > それはそもそも憲法25条に違反します。
> この点は全く同意です。
> ただ、それを時折赤木さんが仰る中間層に責任を求めるのは何かがずれていると思います。
> 法律を持ち出すなら尚のこと。
法律は社会全体で守るものです。中間層だからと言って、法律を破ってはいけません。そして中間層は貧困層を下支えすることができるだけの資産を抱えています。
> えーと、皆さんが仰っているのは生活するための努力行為ではなく、正社員になるための努力のことを言っているのだと思うのですが、その辺はどうお考えでしょうか。
生活できないのに形だけ正社員でどうするの?
逆に形だけでも正社員で無ければ人権そのものが認められないような現状であれば、それこそサービス残業でもみなし管理職でも、企業の側はどうにでもできますね。「正社員でさせてやってるんだから感謝しろ」と。
> そうかも知れませんが、それなら貴方個人の問題を持ち込まず、あくまでもそうした問題だけを語ってください。
だから、持ち込んだのは「お前はどうしたいんだ、努力したのか?」などと書き込んでくる連中でしょ。
努力だって、あなた達が持ち込んだ言葉でしょ。
> 自分はいわゆるワーキングプアです。
> 本当にお金に余裕なんてありません。
> 少なくとも中古とはいえゲームを買ってエロゲーと見下していたものを遊んで涙を流す余裕はありません。
> だからこそ、そんな余裕のある貴方が正社員云々と仰るの逃げを感じてしまうだけです。
それがあるのは、私が文章を書いてお金を稼ぐと言う努力をしたからです。
なぜ努力がどうのこうのいいながら、正社員になる以外の軸を努力と認めないのでしょうか?
> > 団塊世代はいつ努力をしたんですか?
> 貴方の言葉を借りるなら、働いていること=努力じゃないですか?
なら、働いている我々も、団塊世代と同じ生活ができるべきなのです。