タイトル | : 自己責任という言葉の何が問題かというと |
投稿日 | : 2008/05/17(Sat) 23:04 |
投稿者 | : フリーターの大多数よりも低い事務処理能力の正社員 |
いきなり失礼します。
以前から赤木さんの文章を興味深く読ませていただいている者です。
勇気を出して、横槍を入れてみます。
自己責任という言葉の何が問題かというと、それが思考停止用語であり、精神論だからでしょう。そして、精神論の欠陥とはそれが『問題の先送り』である点でしょう。
勿論、人間の力ではいかんともしがたい事態というのは往々にしてあります。ですから、そういう時に『問題の先送り』をするのはやむをえないでしょう。例えば、仕事が立て込んだ時に『一晩徹夜しろ』と言われれば、それくらいはやって見せます。
しかし、『毎晩徹夜しろ』と言われれば、転職を考えるでしょう。何故なら、徹夜が続くのは明らかに構造上の問題であり、しかもその『問題の先送り』をやっている事に他ならないからです(徹夜せねば仕事が終わらないのが『無能』なら、そんな『無能』を雇い働かせねばならないのが問題です)。
少なくとも、自慢げに言うことではありません。
「高望みするな」だの「努力すれば、なんとかなる」だの「探せば仕事はある」だの「必勝の精神」だの「神州不滅」だの「竹槍でB29を落とせ」だの――まあ、最後のはベトナム戦争での成功が噂されていますが、それを基準にモノを考えるのが誤りなのは当然であり――そんな無意味に形而上学的な精神論を並べるなら、「月収○×万で、市内だから、車がなくても働けるし、三十歳以上でも雇ってもらえる。それから、仕事の中身と福利厚生だが……」と具体的な対案を述べるべきでしょう。
第一、赤木さんに言論の仕事を持ってくる人はそれをやっているはずです。おそらく、言論で飯を食うのは果てしなく厳しいでしょう。しかし、空虚な精神論よりは、話が形而下に落ち着いている分、はるかにまともだと思われます。
そして、最大の問題は、本来、虚業の典型であるべき『言論』が、安定労働層に成る事よりも現実味のある選択肢になっていることでしょう。
追記:赤木さんが安定労働層に成れない程『無能(←これも便利な言葉ですよね)』とは、正直、私には思えませんが、それは赤木さん以外の人間にとってはどうでもいいことですね。何故なら、安定労働層になる条件が厳しくなっていること自体が問題なのですから。