タイトル | : 人間が多すぎるんだと思います |
記事No | : 1030 |
投稿日 | : 2008/01/08(Tue) 03:27 |
投稿者 | : ギリギリ中流 |
私は、就職氷河期末期に、そこそこの国立大学を出て、運よくそこそこの企業に就職できました。 みなさん、赤木氏にの瑣末なコトバにいちいちつっかかるのか、正直理解できません。 素直な私の心情から言えば、赤木氏の言うことは至極もっともだろうと思います。 そこそこの企業に入るのに、正直そんなに努力はいりません。新卒ならば。 強いて言えば、受験勉強をがんばって、そこそこの国立大学&大学院を出たことくらいでしょう。 それも、結局私の実家が中流階級であって、高校に行って塾に行ける家庭だったからだし、 何も事故のない、平凡な家庭であったからこそ、興信所の結果もOKだったからでしょう。 まだ短いですがふと人生を回顧するとき、もし実家が貧困生活だったらと思うと、 努力した自分の美しい思い出ではなく、富の固定化に薄ら寒いものを感じます。 就職活動のなかで、無名大学の学生たちが、面接が進むと同時に見る影もなく 居なくなったことがいまだに衝撃でなりません。 (私は、面接前にいろんな学生たちとよく世間話をしてました) その同期たちは、少なからず赤木氏と同じくニートになったであろう、仕事の希望に燃え、 必死にメモを見て最後の確認をしていた同期たちは、単に大学が無名だという理由だけで 大企業から排除される現実をたくさん見ました。 さかのぼって受験を顧みると「これは戦争だ!」と死に物狂いで勉強していました。 なりふり構わずなんとか合格をもぎとったとき、果たして私は何人の同胞を 地獄に突き落としたのだろうと、素直に喜べない複雑な感情で 自分は頭がおかしいのではないかと悩みもしました。 (かくゆう自分も、浪人したので誰かに蹴落とされてたのでしょうけど。) 居酒屋チェーンで注文をするとき、ガソリンスタンドに入るとき、同年代たちが懸命に働く姿を見て、 出身大学や親の収入だけでかくも人生が変わるのか、と思うと、私は日本という国は 自国内で侵略戦争を続けてるだけなのではないかと錯覚すら覚えます。 はたして、そのA級戦犯は誰なのでしょうか? 赤木氏のいいたいことは、そういう社会の「仕組み」が悪だと言ってるのではないでしょうか。 失われた10年、非正規雇用の人たちが、安い賃金で膨大な「富」を築いたことは間違いありません。 その恩恵を、悪法も法とはいえ、矛盾に満ちたルールで大企業が、一部の特権階級が占めるこの世の中は、 私も破壊されてしかるべきだとひそかに思います。 人は、仕事の内容にかかわらず、必死にがんばった度合いに応じて給与をもらうべきではないでしょうか。 「働かざるもの、食うべからず」このコトバを、私はみんな誤読してるように思えてなりません。
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