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●雪印告発の西宮冷蔵、神戸税関から弾圧
中小企業がその良心に従った結果、大企業に損害を与えると弾圧されます。
●本のこと。題名は「家族と本」。
買った本が置かれるのは家庭、すなわち家族の場であり、その家族は読売新聞の憲法私案で言うところの「社会の基礎」とされている。
私は「家族は社会の基礎」なんていう妄言にはクビを傾げますが、とはいえ確かに多くの人がそうであるべきだと思っている感はあります。
家族や家庭の関係性というのが間取りによって産み出されると思っている人は多いらしく、昨今のリフォーム番組や新築紹介番組なんかをみていると「家族が仲良く暮らせる家」などとして、廊下がなく、個人の部屋が境なくつながっているような家が理想とされていますと。かつては3LDKなんていいましたけど、アメリカのホームコメディと違ってあまりに家族がリビングに集まらないんで、間取りという概念を取っ払って全部リビングにしてコミュニケーションで仲良しこよしって事なんでしょう。
で、こういう家をつくったときに、真っ先に排除されるのはお父さんの書斎です。
こうした家の間取りを決めるのは、たいていは栗原はるみを信奉するような主婦で、上記のような部屋を理想とする彼女達の頭の中には広いシステムキッチンやカウンターテーブル、ベランダにウッドデッキなどはあっても、間違いなく大量のスチール本棚はありません。
また「本で部屋をぐちゃぐちゃにするお父さん」は社会の基礎たる家庭=家族から嫌われるでしょう。こうなるとお父さんは本を諦めざるを得なくなります。
つまりは、社会の基礎たる家庭に本の置き場がないんだから、本なんか売れるわけないなぁ。というような事を考えてます。
あと、これを書きながらふと思ったことですが、本という物自体が男性性を想起させるということも、本の居場所がなくなっている要因の1つではないかとも思いました。女性性である家庭に男性性の本は似合いませんから。
●少し前から変わった「Y2J」クリス・ジェリコの入場シーンは、どうみてもパチンコの大当たり確定スーパーリーチにしか見えない……
●2004年グランツールの先陣を飾るジロ・デ・イタリア、キター
って、もうとっくに来てるんだけど、JSKYでの放送は昨日からキターなの。
●例の噂眞の無料券でサイゾー1冊プレゼント企画のサイゾー6月号を読んだ。
今までは笑って許せていた北芝健や高橋がなりといった連中にリアルでムカツク自分がいる。
んでもって、山形浩生ね。今回は坂本龍一なんかが、NPOやNGOに金を貸すNPOを始めたって件に対して言及しているんだけど、要は現状で安定した収支でないNPOやNGOに金を貸したって、ちゃんと回転しないよと。それは金の回収という点じゃなくて、金の貸し借りに必要な透明性を確保すること自体に金がかかって、実際の活動に逆にさしつかえるんじゃないかという話。
ひとまず、坂本龍一なんかのプロジェクトに関しては、確かに無意味どころか危ういことは納得できる。しかし、そもそも日本のNGO/NPOが金を持っていないのは「NGO/NPO活動に対する寄付金の非課税」という、活動推進の上で当たり前の法律が成立していないからだ。この現状のなかで、坂本龍一なんかの活動が無意味だというなら、それを非難する山形の言動だって無意味だろ。
山形浩生はNGO/NPO活動が嫌いなわけだけど、それはなぜかといえば、極めて単純な話で「銭」ですよ、ジェニジェニ。要はジェニを稼ぎ出す企業活動は最大限に翼賛して、ジェニを産まないNGO/NPO活動は批判している、それだけですよ。社会的に意味のある価値とはジェニ、それだけだと思っている。これだから経済屋は……。
読者さんがちょうどいい批評(id:swan_slab)にリンクをはっていて、批判に関してはもうレベルが高くて私の出る幕ではないわけですが、ここで書かれた山形の発言をちょっと引きます。
ここで山形は「そして社会のプールは有限だから、真に有用な活動のために温存しよう」と書いて、3人の活動を有用ではないと批判しているわけですが、「真に有用な活動」ってのは、要は「ジェニ儲け」ですね。正直に「ジェニ儲けのために」なんて書くと傲慢に見えるから「真に有用な活動」なんて書いている。「社会のプール」とか、下のほうにあるどこかの人の「不況による共有リソースの減少」という言葉の「共有リソース」だって、同じくジェニの事でしょ。
だったらジェニだってちゃんと書けよ。クソ銭ゲバが!!
まぁ、別にジェニだジェニだっていってもかまわないんですが、だったらちゃんとお前らも自己責任でジェニを払えと。
イラクでアメリカが、パレスチナでイスラエルがテロ活動を行っていることに、日本は責任がないとでも言うんですか?
南太平洋の島々が沈みゆきつつあることに、日本は責任がないとでも言うんですか?
南米のオゾンホールに、日本は責任がないとでも言うんですか?
さぁ、山形浩生を始めとする銭ゲバの皆さんは、自己責任でこうした諸問題にジェニを払ってください。「プールの目減り分の一部負担を要求するのが正しい社会運営」なんでしょ?
いったい何億、何兆、何京になるかは想像がつきませんが……。
さて、俺は銭ゲバも嫌いですが、環境保護の人も嫌いです。
環境保護の人達の勘違いってのは、環境保護といったって、目指すところは「人間が生活するのに都合のいい環境の保護」でしょ。環境保護とはいっても「ペスト菌も自然だから、撲滅してはならない」とか「害虫も動物だから、駆除してはならない」なんて言わないでしょ。まぁ、環境カルトは言うかも知れないが。
それなのに、なぜか自分たちが「環境を守っている」と思っているし、環境を守ることが偉いと思っている。
で、なんで突然環境保護の人も嫌いなんて話をしだしたかというと、要は俺は「人間以外の物を人間の上に置くアホが嫌い」ということなんです。
人間はジェニに支配されるべきではないし、自然に支配されるべきではない。もちろんここで言う「人間」とは、ある個人や集団ではなく、総体としての人間。
これが分からないような人間を育てるのは「共有リソース」の無駄。「社会のプールは有限だから、真に有用な活動のために温存しよう」。
●小泉訪朝の成果(蓮池、地村家族の移譲)というのは、既に北朝鮮側から食料との交換で何度も非公式にオファーが来ていた部分であって、決して「訪朝の成果」などと呼べるものではない。小泉政権は単に政治的パフォーマンスの時期を考えて、これを引き伸ばしていたに過ぎない。
まぁ、この辺はずいぶん前の日記に書いた「今までと同じように日本の国益などとまったく関係ないところで戻ってくるに過ぎない」ということね。もっとも、ここで書いたようなアメリカの外圧なんかほとんどなくて、単純に食糧と交換って結果になったというのは、いかにアメリカがイラクやイスラエルに熱心で、北朝鮮のことなんか如何にどうでもいいか、日本がいくらアメリカに拉致問題に対する解決を強く要請してもシカトされているかってことの証明ですがね。
唯一今回の件で日本の政治力そのものが査定されるハズのジェンキンス問題にしても、単純に「保留」しただけ。やっぱりなんにもやってないじゃん小泉政権。
このまま行けば、間違いなく戻ってきた5人以外は死亡でシャンシャンだろうし、追加発表された拉致被害と思わしき百数十人の存在はなかったことに。
まぁ、横田さん以下、今回の件で完全に負け組になった人達に関しては、小泉政権なんかに、なにがしの期待をした自己責任だといっておこう。(この部分のみ冗談)
●松沢さんの所からリンクが張ってあったので、新規読者がそれなりに来ていると思うのですが、よりによって今月の日記を見返して、これはなんなんだと。よりによってプリキュアはないだろ、プリキュアは(笑)
一応改めてこの日記の性格を自己分析して見ると、比率的には「時事9にゲームなどのその他が1」といったところです。何かをとことん追い詰めるというよりは、極めていいかげんにやってます。だからコラムではなく日記と称しています。
松沢さんの書く「本」の件についての考え。
本が邪魔だと思うのは、そもそも本に対する愛着がない人もそうでしょうが、むしろ本好きや蒐集家の方が本を邪魔に感じる事が多いのではないでしょうか?
部屋をきれいに保つことを諦めれば本はいくらでも増やせるでしょうが、家族などがいればそうはいきません。本棚を使って奇麗に収納しようと努力しても、たいていは分類もされずにぐちゃぐちゃに押し込まれています。本棚を追加しても、追加した時点で既に追加分のキャパを越えているというのが現状だと思います。「いつ地震が来て、下敷きになるかも」という恐怖からも逃れられませんしね。
というわけで、電子ブックの発展が非常に楽しみなのですが、あれは小説、もしくは辞書にしか使えません。私の買っているような社会関連の本には合いません。ふと気づいたときにパラパラとめくって前の部分を読み返すことができませんから。
一方、小説、特に昨今はやりの私小説的な物に関しては、電子ブックでなくても、携帯で十分でしょう。実際に配信サービスもありますしね。
要は、読み方の方向の問題ですね。小説のように最初から最後に一直線か、辞書のように前後のつながりが必要ない場合には電子ブックは向いています。社会関連などの、ちょっと読んだら前に戻ったりする必要がある本には向きません。
ま、適材適所ですね。
●<パレスチナ>イスラエル軍の道路拡張で1000人家失う
アメリカとイスラエルのための狂騒組曲「新世界秩序」第47楽章にもう少し詳しい記事があります。
地元住民は家屋破壊の中止を求める訴えを起こしたが、イスラエル最高裁は16日、緊急時の兵士保護のためには民家破壊も認められると判断した。
まぁ、イスラエルがまたやらかしているなって感じですけど、日本の有事法制においても家屋の形状の変更は認められるわけで……
明日はわが身です。
●ニートに関して。
ニートの話は私も読みましたが、どうも話の違う問題を無理やり「ニート」という言葉の中に押し込めている気がします。
そもそも、問題の着眼点が現行社会寄り過ぎるでしょ。
分類的には4つにわけているようだけど、3と4は意味合い的に同じでしょ。こんなしょうもない分類なら、下に出ているid:sarutoruさんの分類の方がはるかに的確。
そもそも、この問題は若者の問題ではなくて、社会が若者に信頼されていないという問題なんだから、若者を見たって意味がない。必要なのは現実の「仕事の創出」であって「若者の病気をなんとかしよう」なんてレッテル貼りではない。
日本の雇用というのは、いわゆる「親分子分」の間柄で維持されていた。つまり、親分は威張って、子分に無茶なことをやらせたりするけど、その代わりに親分は子分の面倒をしっかりと見た。相互信頼関係がはっきりとあったわけだ。
ところが、現在は親分は今まで通りに子分に威張り倒すけど、自己保身ばかりに熱心で、子分の面倒は全く見ない。そういう社会構造が子分たる若者から信用されていない。
いつだったか、NHKのフリーター特集で見た、苦労するフリーターを見てニタニタしてた経団連や連合のオッサンとか、努力不足とか言ってた馬鹿首相などという連中を見て社会を信用しろというほうがおかしい。
●武田さんの所にあった「これ」を見て「う〜ん」状態です。う〜ん……
●バグダッドでサリン入り砲弾発見 処理の2米兵が浴びる
中東での経験が私を疑り深くさせているのです(by 木村太郎)
●小沢一郎が年金未加入(任意期間)を理由に、代表選に出ず。
要は「管の後始末なんかしたくねぇ」って事でしょ。どうせ次の代表は参院戦後に引責辞任間違いなしですから。わざわざこんなつまらない事で汚れたくはないよなぁ。
ところで、自民党員で年金払ってなくて、それに謝罪をするというのはわかるんだけど、現在の年金制度に反対している野党(ということで、3党合意しちゃった民主党はアウト)だったら、むしろ「こんな年金、払ってられるか」ぐらい言うほうが筋は通ってる気がするけどねぇ。年金のお題目が一応「相互扶助」ってことになってるから、払ってないと都合が悪いと考えるんだろうが……。
●K様がM様に対する「キャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言したことに対して。
あれはM様の「自己責任」だろ。
だってさぁ、皇室やそれを取り巻く宮内庁というシステムが男尊女卑であることはあらかじめ分かっている事であって、それを承知のうえで結婚したんでょ、だったら自分で危険な所に行ったんだから、それで体調不良なんて言われても迷惑。
K様の主張っていかにもフェミアカっぽい言動だよな、おかしいんじゃないの?。こんな言動を認めて、被害者家族ををヒーローにしてはいけない。
さらに、今回の権で宮内庁のいろんな人が夜も寝ずに動いたんだから、それにかかる費用も払うべき。
K様が帰ってきたら、みんなで生卵ぶつけたり、日の丸に「自己責任」とか「ぬるぽ」とか書いて、出迎えてやろうぜ。もちろん弾劾記者会見も忘れずにね。
もちろん、上記の件はすべて冗談です。
ただし、すべてウソでもありません。皇太子と結婚したのは雅子さん自らの意志ですから。
この国では、権力が強くなればなるほど、その自己責任が問われない傾向にあるようです。
●創価党……おっと、公明党幹事長冬柴鐵三の「お詫び」
そんなどうでもいいことに詫びている暇があったら、イラク人質5人とその家族に詫びろ。
●「イラク報道に疑問」 森住さん、産経新聞の賞を辞退
森住さん自身のサイトで「この新聞社からもらいたくない」とキッパリ。素晴らしい名言です。
反社会学の見地曰く、「賞はあげる側のためにある」
●松沢呉一 黒子の部屋 お部屋711「富裕層と貧困層0」
ここに出てくる「初めてメールをくれた読者」というのが実は俺なんですが、売る売らを買ったという話の他に、メルマガの件を送ったわけですけど、内容を送ったかというと「黒子の部屋を公開形式は今のままで、同内容を有料メルマガにしてはどうか?」というモノです。
これは、黒子の部屋が連載されたものがすべて閲覧できるのではなく、前に書いたものが消されていく形式であるため「容易に保存できる手段の提供」と、まさに松沢さんに対する「お布施」という2点を考えてのことです。
で、松沢さんからの返答は上記のリンク先でいうと、
月に200円として半年で1200円。月に300円として1800円。そんな金を出す余裕のある人であれば、800円の文庫くらい買ってくれましょう。
という部分と同様の内容です。
本題の前に、基本的な部分に関して。
まず、松沢さんの件という個別の事に関してはメルマガがどうのこうのという方法論ではなく、単純に「どれだけ誠実な読者がいるのか」という問題です。
松沢さんに届く新規読者からのメールは、俺以外の全員が「本を買ってくれ」という呼びかけに対して「今度買います」などと書いてくるそうで、こういう神経の人がお布施なんかするはずがないです。と言われれば、そりゃそうだとうなずくしかありません。
さて、ここから本題。とりあえず今回の件を2つに分けたいと思います。
1つ目は「本をリアルやネットの本屋で買うことと、情報をネットで買うことの違い」という話。
2つ目が情報の価値についての話です。容易にお金の払われる物と、払われずらい物についてです。
では、1つ目から。
私の友人は私なんかより本を大量に持っているわけですが、最近は本を古本屋に売ったりなんだりで量を減らしているそうです。かくいう私も、本ではありませんがCDを全部MP3化して、CD自体はCDファイルにまとめ、かなりのCDケースを廃棄しました。
一体、なんの話をしているかというと、質量の話なんです。本というもの、特にハードカバーの単行本は、現在さまざまな物が小さくなった世の中でまだ大きいままです。
なるほど、確かに「松沢さんへのお布施として、松沢さんの本を買う」というのは、非常に分かりやすい。しかしそこに本が本であるゆえの「大きさ」があり、その大きさゆえに買いづらいという人も現実にいるわけです。こういう人にとって「お布施対象物の物質的縮小」は必要な事です。前述の私の友人も「本を買わなくていいなら、お布施をする」と言ってましたし。
また、本を買う手順そのものも、松沢さんのいうほど簡単だとは思いません。
大都市部に住んでいるなら大きい本屋があって楽しいのですが、中小の市町村では存在するのはチェーンの新刊本屋ばかりで、置いてあるものもたいてい同じです。サブカルの棚も小さく、松沢さんの本という意味でなら1、2冊はあると思うけど、松沢さんのあの本とした場合に、それがあるかどうかは分かりません。注文したらしたで、到着するまで平気で1、2週間かかります。こうなると、メルマガを購読する面倒さと書店で買う面倒さはさほど変わりません。
ネット本屋の場合、ポット出版は送料無料、1冊2冊ならメール便で送ってくれるそうで、大変良いのですが(しまった、だったら別にesbooksに売る売ら発注しなくて良かったじゃん)、多くの業者が宅急便での発送で、宅急便というのは必ず人がいないときに家に来ると相場が決まっているのです。
一方、メルマガの場合、当然、質量はハードディスク分のみですし、受取の問題もありません。
ただし、契約は面倒な感があります。私はサイゾーのメールマガジンを購入していましたが(現在は休刊)、これのためにわざわざジャパンネットに口座を作りました。その一方で、一度引き落としにしていまえば、読者は面倒くさがって解約しにくいという利点(!)もあります。私も月600円払って、サイゾーのメルマガとってましたけど、意外とさらっと読み飛ばしたりしてました。
ここでの結論としては、本とメールマガジン(に限らず、ネット上のテキスト)に媒体としての違いがある以上、これを単純に同列として比較する事はできないということです。
さて、上の結論を踏まえての2つ目。
平均的なオッサンにとって、3,000円のランチなんかに金を払うのはバカバカしくても、パチンコに3,000円突っ込むのはさしたる困難ではないように、同じ金額が使われる先によって、重くなったり軽くなったりします。
これも私の感覚ですが、本を買うお金って意外と重いんですよね。ゲームも重い……いや、ゲーセンでやるゲームは軽いけど、ゲームソフトを買うとなると重い。私の場合は物を買った後に必要とされる時間に対して重さを感じるようです。まぁ、お布施として考えるなら、本を買って読まずに捨てる(ブックオフに売るのではなく、ちゃんとゴミとして)ってのもありですけどね。まぁ、そんなことができたら、俺の部屋はこんなに乱雑なハズもないわけで。
メルマガでいうと、メルマガという媒体自体をチェックするのはさほど時間を喰うものではないので、比較的軽く感じます。それが月額300円、半年で1,800円という金額として、分量的には1,800円の本と変わらないものであったとしても、やはりそれが半年に分配されるというのは大きいです。
それと、そもそもお金を支払う媒体自体にも軽い重いは存在すると考えます。
紙幣や硬貨は簡単ではありますが、存在自体が重いために、支払いの際に躊躇することがあります。銀行振り込みなんかだと、振込手数料の問題があります。一番軽いのは健康ランドなんかのナンバーで確認しておき、チェックアウト時に一括清算する形ですが、これは当然限られた施設内でしか使えません。
さて、メルマガの場合は「銀行引き落とし」なり「クレジットカード」なりウェブマネーやビットマネーといった「電子マネー」で払う事になるのですが、いずれの方法を用いたとしても、それは現金の額名と同等にはなりえません。引き落としにも手数料がかかりますし(たいていは売る側の負担になるが、意味合い的に当然購読料に含まれることになる)、クレジットカードには利子が。電子マネーも利用料が売る側にかかります。
要はすべて手数料なわけですが、それが買い手負担か売り手負担かにかかわらず、どうにせよ紙幣の額面通りとは行かないのが現状です。そしてそれは民間企業が間に入る以上は仕方のないことです。
とはいえ、これらの方法はやはり、現金を直接払う重さよりも、はるかに軽いやりとりですので、メルマガに対するお金の支払いというのは「それなりに軽い」と思います。
と、本来以上までを松沢呉一 黒子の部屋 お部屋711「富裕層と貧困層0」に対する意見ということにしたかったんですが、最終的にフラフラしてなんだか趣旨の見えない文章になってしまったことをお詫びします。
最後に。
ずいぶん前にスティーブン・キングがネット配信の小説をやって、結局、支払い率も低くなって破綻したという話がありました。
このときに「やっぱり支払い責任は強制しないとどうしようもないのかな?」とも思ったのですが、あれから5年近くたって、ネット上の文章(=情報)に金銭を支払うことへの意識というのはどう変わったのでしょうね?本来ならこれは一番上に書くべきことですし、今回の話を包括するテーマになりうるのですが、今回はあくまでも問いかけにとどめておきます。
●子供の日なので、おもちゃを買ってきました。
組み立ててみました。部屋が散らかっているので、カップが写り込んでしまいました。
なぜか部品があまってしまいます。どうしたらいいんでしょうか?
以上、大きなお友達の日スペシャル企画で、、ドカバキ
●産経新聞のと知事連載で慎太郎が「北方領土をパレスチナ人にやってしまえ」などといいたれていた。慎太郎は本当に民族や文化のことを全く考えてないんだな。
●松沢呉一曰く、
今回のバッシングを批判する側は、バッシングする人々を「日本的なもの」としてとらえているような印象もあるのですが、必ずしもそうとは言えないのではないか。海外の多くの国から見て日本が「特殊で理解できない」という意味で「日本的」ではあっても、伝統的な日本人のあり方とはどうも違うような気がしてならないのです。
うーん。俺は今回バッシングしている側はまさしく「表層的な形式ばかりを重視し、内実を無視する今日的な日本人」そのものだと思うのですが。
多分「伝統的な日本人のあり方」というのは、多分に理想化された日本人のことでしょう。礼儀正しく親切で判官びいきで以下云々という日本人のことでしょう。
私が「今日的な日本人」としてもっとも顕著な反応だと思ったのが、やたら家族を批判していたということ。また、擁護側も「家族が子供を心配するのは当たり前」などと、やたら家族にこだわって擁護していたこと。そもそも家族が記者会見なんか開く必要がどこにあったのでしょうか?ただの家族なのに。
結局のところ、今回の拉致の件で一番引っかかっていたのが「家族」ということ。拉致された3人の「家族」に違和感を感じたり、左翼の関係者がいるなどとレッテルを張り自己責任云々騒ぎたてたクズどもの視点は結局は「家族」を基礎とした「一族郎党」という捉え方だし、逆に、自分の家族が拉致されて、犯人が条件として自衛隊を撤退を出してきたなら、「家族」はそれを訴えるのが当然とする考え方も、同様に「家族」を基礎としている。
そんなことをつらつらと考えていたら、ちょうど国売……おっと読売新聞が憲法試案を出していて、大見出しで「家族は「社会の基礎」」などとぶち上げてて、そのくせに前文に「個人の自律と相互の協力の精神の下に」などと相互矛盾をはらむことを書いているわけで、一体日本人にとっての家族とはなんなのかと非常に疑問に感じている。
まず、自分の考える家族とは何かというと、あくまでも「弱い一時的な連帯」に過ぎない。
夫婦というのは、当人同士が了承のうえに婚姻したのであるから、連帯としては強固ではあるが、その他の関係性、たとえば親戚や双方の親、そして子供というのは、あくまでも「既にそうである関係」に過ぎないのであり、決して社会の基礎になりうるような強い連帯ではない。
日本人はここに強い関係性を求めすぎていると思う。
本来弱いものに対し、強さを求めるなら、それは外的な要素によって関係を補強しなければならず、それは極めて過剰で歪んだものとなる。読売のやっているような憲法で家族関係を強めようとするものだけではなく、もっと日常的な部分。親子関係でいえば子供に対する虐待も、子供に対して「親の言うことを聞け!顔色を見ろ!!」と連帯の強化を求める行為だし、逆の甘やかしは親側が子供に対して過剰に合わせてしまう連帯強化行為だ。また、元来の関係性が弱いからこそ、DQNが何匹も溜まって周囲に迷惑をかけるように、家族も溜まって周囲に迷惑をかけ、他人を軽視することによって連帯を強めたつもりになる。
あと他にも子供のいない夫婦を責めたてて見たり、子供のミスを他人にあやまらない等々。
もともと現在の日本的な家族感というのは、あくまでも共同体の中の家庭だった。社会の1つとして共同体があり、共同体に押さえられる形での家庭の存在があった。ところが、昔ながらの共同体が衰退する中、家族関係に共同体の役割が与えられるようになった。そこに「強度」が求められるようになった。
本来ならば、昔ながらの共同体を復活するのではなく、別の形での「自発的な連帯」を産み出すべきだろうし、それが正当だと俺は思う。今回拉致された内の今井さんと高遠さんは、まさしくこの「自発的な連帯」の中にいる。そして、自発的な連帯は当然強固である。
ところが日本では「既にそうである関係」にこだわり、新たな関係性を作り上げることを拒否している。今回のバッシングにはそうしたボランティアやNGO、NPOという新しい関係性に対する拒否感も当然あると見る。「どうして親が止めなかったのか」や「家族と水杯をあげていけ(と知事)」という発言はそうした意図を示している。
今の日本というのは、経済失墜の中で必死に「確かなもの」を求めている最中なのだろう。
しかし、諸外国が「自発的な連帯」を求める中で日本だけはなぜか「家庭」という既存のものに乗っかろうとしている、それは戦後敗戦国であるにもかかわらず、日本人が何一つ「反省」の姿勢を示さなかったことと無関係ではないだろう。つまり日本人は根本的なところで「日本人(私)は正しい」という幻想から逃れていないのである。自分が正しいと信じてしまっているから、自然や根源、昔ながら、などの古かったり土着であるものに執着する一方で、新しいものをなるべく拒否していこうという方向性になる。日本人はさまざまなものを外国から取り入れ、日本人好みにアレンジするのがうまいと言うが、それは一方で「私は正しい」の姿勢を崩さないために、取り入れたものをそのまま使うのではなく、日本人向きにアレンジする他なかったのではないか?
なんてことを考えつつ、なかなか日記を書くことができずにいました。